
今年のシュトーレンは、表面に砂糖ではなくきなこがまぶされ、なかには栗や柚子が練り込まれたマジパンが入ったのがちょっと和の感じで珍しい、パレスホテル東京のボーネン シュトーレンを選びました。
(ちなみにパレスホテル東京はクリスマスケーキも別格も美しさ!)

近年、この時期になるとシュトーレンをよく見かけるようになりました。
いつからかは判然としませんが、20年ほど前には、そこまでではなかったような。
実家にいる頃、ある時期から母が近所の寂れかけた商店街の、ちいさなパン屋さんのシュトーレンをよく買ってくるようになりました。
シュトーレンはナッツやドライフルーツなど、油分、糖分がたっぷり含まれていてカロリーが高いから、うすーく切ってほんの少しずつ、クリスマスを待ちながら食べるドイツの伝統的なお菓子なのよ。と、その頃母から聞かされました。
そのパン屋さんは、夫婦で切り盛りする昭和の香り漂う昔ながらのパン屋さんで、クリスマスの時期だけでなく、一年じゅうシュトーレンを置いていました。母は親戚や何かの集まりなど、どこかへ手土産を持って行くときにはいつもシュトーレンを携えていき、私が実家を出た後には、たまに帰ると持たせてくれたり。
パン屋さんのご夫婦が手間と時間をかけて真面目に手作りされたシュトーレンは、ずっしりと身が詰まり、その重さがなにかとても贅沢な感じがして、食べると複雑な甘さと油分がじんわり染み入るような味わいでした。
私のなかにはそれがシュトーレンの原体験としてずっと残っていて、クリスマスが近づくと、毎年ケーキよりもシュトーレンを買わなくては、といろいろなお店のシュトーレンを眺めるのが12月の恒例に。
そのパン屋さんはもう随分前に店をたたみ、今となっては思い出のなかだけの味ですが、毎年のようにいろいろなお店のシュトーレンを食べてみても、あの濃厚さに敵うものには未だ出会えていません。
母が亡くなって、12年。なんだか忙しくしているうちに、月日が過ぎるのはあっという間で、今年の秋には父がこの世を去りました。
春の終わりに突然、脳出血で倒れ、しばらくは病院や介護施設のことで右往左往。ちょうど出展がない時期だったことがせめてもの救いでしたが、初めてのことが怒濤のように押し寄せて、それに対応するのに精一杯で、制作の仕込みもままならないままに秋の出展シーズンを迎えました。
なんとかよくしてくださる施設への入居も決まり、本人も穏やかな暮らしができると安心していたと思われた矢先、容体が急変しての最期でした。
もう少し、お世話をしてもよかったのにな。そんなふうにも思いますが、これが人の寿命というものなのでしょう。
家族も、私も、父のことに関しては本当によく頑張ったし、やれることはすべてやり、ベストを尽くしたと思うので、後悔はありません。
私にはそれがなによりのこと。母のときも、そうでした。
シュトーレンを眺めていると、母のこととともに、そんな今年のバタバタした日々が思い起こされて、ああ、ふたりともいなくなってしまったんだなぁと実感するとともに、この怒濤の日々をなんとか乗り越えられたのは、家族と日々の暮らしと仕事、支えてくださる方々のおかげだなぁとしみじみ思うのです。
静かに暮れつつある一年を、じっと振り返ることができる時間がとれること。一年でいちばん街が煌びやかな季節を穏やかな気持ちで愉しめること。家族が元気で猫たちが今日も可愛いこと。あちこち痛かったり不調があっても、今日も目が覚めて身体が動いてくれること。私の創作を世の中の誰かが喜んでくださっていること。
私にはまだまだ、生きていくお役目があるということ。
なみなみと淹れたコーヒーを飲みながら、すべてに感謝の12月です。